山人ノマドの活動報告

東京都山岳連盟加盟の山岳会、山人ノマドのブログです。会員の山行記録、会の行事などを紹介していきます。

南ア・小太郎山

7月17日・18日 たけぞう

 甲武信岳、蒜場山についで今回も行動時間が11時間超えの山行になった。17日、あずさ1号に接続する9時台の広河原行きの登山バスは連休最終日であったが臨時便が出た。新装の広河原山荘で山菜蕎麦(@900!)を食し、野呂川に架かる吊橋を11時30分に出発。今日は白根御池小屋までなので、ゆっくり歩く。おば様達が追い越していく。トラバース道までに2箇所ベンチのある休憩ポイントがある。トラバース道の中間で沢を渡るが、冷たい水が飲める。ミヤマハナシノブが咲いていた。15時前に小屋に着いた。御池から北岳が見えるが山頂には雲がかかり続けた。小屋は5人部屋だが仕切りがあり、インナーシュラフを持参するが布団もいい。夕食は普通である。

「白根御池」

 18日、4時前にヘッデンを着けて、草すべりコースを行く。鳳凰三山から陽が昇り、北岳が朝日に照らされる。マッチ箱から上部のバットレス四尾根主稜がよくわかる。四尾根主稜には4回行った。どれも記憶に残る登攀である。6時30分、小太郎分岐に到着。小太郎尾根の奥に甲斐駒ヶ岳が見える。仙丈ヶ岳が立派だ。北岳は近すぎて山頂部しか見えない。池山吊尾根の奥に富士山が見えた。6時50分、小太郎尾根の下降開始。はじめは二重山稜の左側を行く。道は基本、ハイマツとハクサンシャクナゲの間を行く。岩稜帯は西側を巻きぎみに行くが、大きく巻くところもあり、視界の利かないときは注意が必要。2000年に野呂川流域小太郎沢を遡行した際、この辺は歩いている。前小太郎山の手前で樹林帯に入り、ザレたピークを直登すると、前小太郎山である。振りかえると堂々とした北岳が見える。先の小太郎山は甲斐駒と頭を並べている。8時55分、3等三角点のある小太郎山の山頂を踏む。甲斐駒はアサヨ峰の後に頭が見えるくらいで、対峙する仙丈ヶ岳は大仙丈沢や小仙丈沢がよくわかる。往路を戻るが、帰りは二重山稜が登りになるので、行きより時間がかかった。11時30分、草すべりの下降を開始。13時、小屋に戻る。ピザトーストとコーラで腹を満たし、広河原へ下山。15時30分、吊橋を渡る。

 今回、天気に恵まれ、南ア北部の山々を十分目に焼き付けた。小太郎山は山梨百名山の99座目。残りは源氏山であるが、車がないとまた11時間山行になる。

北岳バットレス四尾根のスカイライン。中央はマッチ箱」

「小太郎尾根。奥は甲斐駒ヶ岳

「前小太郎山から見る小太郎山」

「前小太郎山から見る北岳

「小太郎山山頂。後は仙丈ヶ岳

 北岳初登頂は、1987年8月4日、白根三山を2泊3日で縦走したときである。第2登は、無名山塾講習会で、95年の年末から3泊4日で夜叉神峠から鷲ノ住山を越えて池山吊尾根を登り、塩見岳まで縦走したときである。96年7月には北岳バットレス四尾根を登攀。その後、バットレス四尾根はノマドで、97年7月、2000年7月、2002年7月と登っている。2012年6月、キタダケソウを見に登ったのが最後で、今回も余力がなかった。

 甲斐駒ヶ岳初登頂は、1986年9月、広河原から北沢峠を経て仙丈ヶ岳に登った翌日であったが、帰りに麻利支天から六方石の間で1時間ほど道迷いをした。無名山塾会員になった95年1月に再び、甲斐駒・仙丈ヶ岳に冬期初登頂し、11月には、鋸岳から甲斐駒に縦走し、黒戸尾根を下降した。ノマドでは、2002年1月、北沢峠経由で4登目。2月に黒戸尾根から再チャレンジするも五合目で敗退。しかし、9月に黄蓮谷右俣を遡行した際に5登目をはたす。冬の黒戸尾根は、12年12月、14年12月とチャレンジするが、七合目が最高到達点になる。